ABEMAの"みんなのアニメ2"でスラムダンクが無料視聴出来るなんて凄い時代になったな。スラムダンクは90年代を駆け抜けたというか置き去りにした伝説(レシプロ)であり、スポーツ漫画における金字塔でもある。
今回はそんなスラムダンクを視聴していて懐かしく思ったことや、戻らない時だけが何故輝くのか考えてみた。
スラムダンクの時代は携帯なかった?
桜木花道の特訓中に安西先生が突然倒れてしまうという下り、実はあまりに記憶になくて新鮮な気分で楽しめた。
陵南VS海南の試合を観戦(偵察?)していたゴリ(赤木剛憲)に緊急連絡が入る。大会スタッフの女性が「湘北の赤木くんいませんか〜」と応援席まで探しに来るのだが。
この場面でハッとした。ワイの頭に真っ先に浮かんだのが携帯電話だった。
スラムダンクの連載期間は1990年~1996年という事でスマホは存在しない。厳密には、それらしき足跡は存在するが一般に普及するまでには至っていない。
ちなみにPHSの登場が1995年、爆発的に普及し始めたのはもっと後の話。
初代iPhoneが市場に投入されたのが2007年である。
ワイの青春に携帯なんて便利な物はなかったけど(ピッチはギリあった)、景気もよく明るい未来を予感させるキラキラした時代だったわけだ。
なんか色々懐かしすぎて違う意味で涙腺が緩む。
だって人生におけるダンクシュートを決められないままオッサンになってしまったワケで、、そういう儚き想いよ。
そこですか?って感じではある。
時代をエンタメで振り返る
ざっくり90年代以降のエンタメというかカルチャー全般は凄かったと思う。多様性が爆発的に広がって次々に目新しいモノが現れては消えた。何より自由な風潮が心地よかった。
漫画にしても音楽(バンドブーム)にしても黄金時代と言って頑なに譲らない。
そしてスラムダンク連載終了から25年の歳月が流れたなんて受け入れたくない気分だ。色褪せない名作を横目に自分だけが古くなってしまったようで。
この先の人生、自分に何が出来るだろうと自問自答の日々である。
スラムダンクは無理でも、華麗にレイアップシュートくらいは決めたい。それくらいの希望は胸に抱いていたい。
安西先生、バスケがしたいですの頃
スラムダンクが不良ギャク漫画から、本格的スポーツ漫画へ舵を切ったタイミングで現れたキーマンの一人が、「女男」こと三井寿だった。
「女男」という表現は、当時流行っていたロン毛を花道が揶揄したもので、髪を肩くらいまで伸ばしたイケメンへの負け惜しみのようなものである。
そのルーツには90年代に頭角を表した俳優の江口洋介や後の木村拓哉といった存在がうかがえる。始祖は、、たた武田鉄矢だ;;
三井を取り巻くドラマだけ切り取っても時代のフォーマットが見て取れて面白い。
この三井登場までが、スラムダンクの不良漫画としての面白さのピークで、その後のアクション要素はそのままバスケットに置き換えられていく。
実に巧みな采配だと思う。井上雄彦さんのドラマを見せる巧さに只々引き込まれる。
「安西先生、バスケがしたいです」
この時代、ワイはちょっぴり漫画家に憧れていた。そして今、時々ではあるがイラストを描く仕事をしている。
世界が終わるまでは
ワイの世界が終わるまで、平均寿命から逆算して40年ちょっと残されている。
限られた時間のなかで今が最も若い。
スラムダンクに相当する何かを決めるチャンスがないわけじゃない。
感傷に浸るより、今に集中してひたすら足掻いていたい。
もう駄文をこしらえながら胸が熱くなってきたぞ。
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